ステージ虱発 弐号

で、お前ら、何を「保守」したいのよ?

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解析 ダライ・ラマ14世(3) 現代思想の大家

取り敢えず、最後の「解析」としてダライ・ラマ14世の現代思想としての位置付けを考察する。

前項では実はリアリストの側面を持つ存在であることを述べた。
このことは宗教家としても変わらない。

彼の著書を1冊でも読んでもらえれば分かる。
彼はチベット仏教の指導者であると同時に、チベット仏教に帰依しなさい、とは言わない。
むしろ、宗教間の融和を主張していたりする。

この辺はダライ・ラマ信奉者やチベット仏教信者の方には怒られるかもしれないが、敢えて言うと、ダライ・ラマ14世は既にチベット仏教の枠からはみ出している、と言って過言ではないと思う。
もう少し、柔らかく言えばチベット仏教からも自由となり、さらに思索を深めていっている。


日本では「慈悲」とか「思いやり」とされる法王の教えであるが、個人的には、適切な言葉を見つけられないのだろう。そんな一言で片付けられんぞ、というのが僕の感想である。

と、言っても僕も適切な言葉を見つけることが出来ない。
ある意味でダライ・ラマ14世は新思想を立ち上げてしまったところがある。

この教えには「普遍」がある。
また法王自身はかなり守備範囲が広いのか、ときには物理学からビジネスまで発言してしまう。

このチベット仏教に必ずしも束縛されず、合理的な考えを否定しない姿勢が欧米でダライ・ラマ人気が高いことの一つの理由であろう。


そして、ダライ・ラマの教えは最初はオリエンタルな興味から接していたのだろうが、最近はポスト・グローバリゼーションの一つの思想として受け入れられている気がする。

僕はポスト・グローバリゼーションの思想として「八紘一宇の再評価」を主張しているので、その点では法王と若干違う。

が、軋みが生まれ始めたグローバリゼーションに対する一つの思想としてダライ・ラマ14世の教えが評価される可能性は十分にある。何度も言うが、著書の一冊も読めば、そのことは分かるはずだ。

前述した「ゆるす言葉」より一節紹介する。

「私は皆さんと同じ存在です。
皆さんには平等な機会と能力が備わっています。
皆さんにも同じことができるのです。」


まぁ、ぶっちゃけた話、「いくらなんでも法王と同じことなんて無理だよう(ToT)」とは思ったりしたのだが(笑)人間の可能性、個の可能性を賞賛する言葉だ。

彼は所謂、「個」も「公」も肯定し、そのバランスが絶妙である。
しかも誰よりも大きな「個」と「公」を持っている人物である。

保守を自称しながら「公」なく「個」だけ拡大し「私」に走って妄言を吐き散らかしている奴は法王の本を買って読んでみろ、と言いたい(苦笑)

彼は思想家としても将来の世界史に残る人物かもしれない。
少なくとも思想史には名を残すだろう。

我々はそんな思想の大家の生の言葉を読み聞くことが出来る。
ある意味で現代に生まれた役得と言えるだろう。

(終わり)

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テーマ:チベット問題について - ジャンル:政治・経済

  1. 2010/11/04(木) 23:00:21|
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